銀座黒澤ビル Ginza Kurosawa Building   ENGLISH  FRANCAIS
『事務用具の最善のものは何でも』
と云う私の店の標語の意味は、事務用具の最善のものは何でもあり、最善のものでなければ取扱わぬ、
最善のものでなけれぱ儲けぬと云うのである。 (「我が社の標語」黒澤貞次郎)
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1909年(明治42) 10月18日銀座黒澤ビル起工
日本で最初の鉄筋コンクリート・オフィスビル
米国より専門書を取り寄せ研究、貞次郎自ら設計、工事監督、施工
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素人設計だが専門家も感嘆 3
 暗かっ色レンガをはった黒澤ビルは、故谷口吉郎氏など建築の大家が「町並みに合った端正な建物」と激賞していた。 昨年夏解体してみると、外観ばかりか内部も、コンクリートが入念にうってあり手抜きがなかった.また、鉄筋のつなぎ合わせ部分に、 現在普及している工法を先駆的に使っていた。コンクリート床の骨材が一期は花こう岩の砕石、二期かレンガを砕いたもの、 三期で現在使う砂利と変わるなど試行錯誤のあとはあるが、とても素人とは思えない技術なので、近江研究室は来月報告書にまとめ、 学会に報告する。
 黒澤ビルのがん丈さは、関東大震災、東京大空襲などにもビクともせず生き残ったことで証明された。 その丈夫さがどこにあるのかが注目されていたが、解体してみて基礎やハリから無数のレールがでてきて関係者をぴっくりさせた・・・ 鉄道馬車のレールではなく、路面電車用で、入っていたマークから、ベルギーのブロピデンス社、 ドイツのフエニックス社などからの輸入品とわかった.
 黒澤ピルのレールは明治三十八年四月開通した東京電気鉄道(のち市電となる)の 土橋―虎ノ門間0・8キロ間のものと推定される.
(朝日新聞 1980年4月5日)
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第1期工事完成(1910年12月28日)し、第2期工事進行中
    
 1912年7月16日(第3期工事中)
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 所謂、素人の設計・施工にもかかわらず、その工事は念の入ったもので、今回の解体工事においてもその良質な施工が確認されている。 ・・・「コンクリートの配合から練り方まで注意に注意して砂利は2回洗い、砂まで洗うと言う始末、練り方でも少なかろうものなら大目玉、 実際、馬鹿々々しい気の長い仕事と思った。
 併し、出来上ったコンクリートは立派なものだった。仮枠の板目までが見事に転写されて、全て磨きのかけられた石の様で、 薄っぺらな焼き過ぎ煉瓦等でお化粧するのは勿体ない様」であった・・・
(「RC造オフィスビルの先駆」日大理工学部>>「吾等が村」誌)
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1912年(明治45) 12月、銀座黒澤ビル完成 7
黒澤ビル
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 新しい技術が出現するときは専門家も素人もない。情熱とエ夫と努力が成功のカギになる。 もちろんその工夫に技術者魂が加わっておれば鬼に金棒だ。
・・・設計は日本におけるタイプライター製造技術の開拓者・黒澤貞次郎。溢れるほどの技術者魂の持ち主ではあったが、 建築については一介の素人の作。しかも先例のない新しい技術へ敢然と取り組んでの成功であった。
・・・明治末年に完成し、銀座の現位置に七〇年の齢を重ねて市民に親しまれていた。 その外観意匠も暗褐色の外装レンガ、比例のよい縦長の窓などをもって気品の高い名建築として評価されていた。 震災にも空襲にも厳然として生き残ったのも天晴れで心血のこもったビルとはそうしたものだという生き証人でもあった。
 まったく新しい技術だったから、黒澤貞次郎は涙ぐましい努力を重ねて設計し、直営の工事に自ら店員とともに当たっている。 今回その解体に際して随所に見るそのエ夫と努力の痕に私は思わず合掌した。建築とはこうして設計され、 こうして造られるべきものだったのだ。それを素人に手本を示された。慙愧に耐えないとも思った。心なく、気楽に造られすぎている今日の建築に対して、 これは強烈な戒めであるとも見た。日本中の建築関係者がこの解体に立ち会って、建設者としての初心を新たにして欲しいとも思った。
慰められたのは丁重に記録が保存されたことと、その面影を残して新しいビルが誕生したことである。涙をぬぐっておめでとうを申し上げる
(「日本の近代建築とクロサワビル」村松貞次郎)
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 我が国の電信の進歩の一半に和文タイプライターの採用があったことは議論の余地のないところで,その発展の経過を辿ってみると, ・・・欧文電報の翻写に欧文タイプライターを利用する方が便利だということが考え出され,大阪中央電信局では大正3年から実施されていた。
ところがその利用を更に和文電報にまで及ぼすの利便を考えた同局では,大正6年当時日本に於ける唯一のタイプライター輸入修繕商であって, 和文タイブライターの製作利用を考案した黒澤貞次郎氏にL.C.Smith式タイプライターをもととし, これを和文電報に適するようキーボードの文字配列等を指示してその改造試作を依頼した。
(「黒澤貞次郎さんの追憶」大内誠三)
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1917年(大正6) L.C.スミスタイプライターを改造し、 電信用カタカナ・タイプを製作、
「和文スミス」と称す
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和文スミス  和文スミス使用の電報 12
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 キーボードの配列は同局で1838通の電報此字数98,450字を 研究せられて定められたのが下図のキーボードでその後漢字を全廃しましたのが現今のキーボードであります。 (「沿革」) 14
 この邦文タイブライターの完成と,氏の業績は国家の認むるところとなり,御大典に際し実業界の功労者として, 昭和3年11月17日「つとに米国に航して機械工業の実地を学び、 邦文タイプライターの製作に志し刻苦研鑚遂に之が完成を見るに至る以来鋭意事業の発展を図リ今日の隆盛を致すまことに実行に 精励し衆民の模範たる者とす」との主旨で緑綬褒章を贈られた。 (「追憶」) 15

INTERNATIONAL TIME RECORDING Co.

クロサワとIBM社との関係はタイム・レコーダー部門から始まった。大正4年(1915)発行のカタログには、既に記載されている。

スプリング捲き、振り子式カード記録機で、当時445円の価格であった。

大正7年蒲田工場竣工後は時計ムーブメントとカード記録部分のみを輸入し、ケースの木製品部分を自作し組み合わせ、 同じく自作のカード・ホルダーと共に一般顧客に供給された。

昭和の時代からは、親時計による電動式システムに切り変わり始めたが、振り子式も根強い需要が続いた。 この1台は今猶当社に保存されている。

(「くろさわものがたり」黒澤張三)

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1927年(昭和2) 1月1日 IBM東洋総代理権獲得 17
 INTERNATIONAL TABULATING MACHINE Co.
 IBMと言えば直ぐコンピューターと思うが、当時はタビュレーテング・マシンでホレリス電気式会計統計機械と称した。
HOLLERITH 博士の発明による、カードに孔をあけ、分類機により選別し、総計作表印刷機で纏めるシステムである。主として国勢調査、生命保険統計、 在庫調査、原価計算に使用された。
 大正14年(1925)の暮れ、森村組により日本で初めて日本陶器にこの機械の1組が据え置かれた。 森村組ではIBMの代理店としての活動は本業の関係から適当でないと考え、森村市左衞門男爵と親しかったばかしでなく、 既にIBMの一部門のタイムレコーダーを取り扱っている黒澤貞次郎に、この機械の代理権を引き受けてもらうことにした。 その結果、昭和2年1月1日代理権発効となった。
 クロサワでは、森村組から移籍された水品氏を中心に販売活動を展開し、三菱神戸造船所、三菱長崎造船所、 呉海軍工厰等で主として原価計算業務に使用された。 更に帝国生命、日本生命、武田長兵衛薬品会社等で統計業務にも使用された。然し情勢は満州事変、 上海事変と大陸に於ける戦時体制の急進により次第に諸般の事情が変化し、 IBM本社に送付する業務資料の報告も困難な事情となった。
(「くろさわものがたり」)
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銀座店ショーウィンドゥ、IBM統計機械展示            1F展示室 1926 
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1930年(昭和5) 和文印刷電信機試作開始 20
1933年(昭和8) 電信用カタカナ・タイプ国産化
「アヅマタイプ」AZMA TYPEと命名された。東京で造られたAからZまで打てるマシンの意である。
(「くろさわものがたり」)
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アヅマタイプ           皇室より受注、納入された特製アヅマタイプの同型機
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 黒澤さんの作ったタイプライターで特に銘記すべきことがある。 昭和6年天皇陛下が生物学御研究用としてカードの整理にお用いになるため特に字の小さいアルファベットと片仮名を打つことの出来るタイプライターを 特別に作って・・・,その内の1台は今尚黒澤工場に記念としてまた予備として保存されてある。(「追憶」) 23
 黒澤貞次郎は昭和2年(1927)逓信省技師松尾俊太郎氏を迎え入れ・・国産和文印刷電信機・・の試作研究にとりかかつた。
 一方逓信省は昭和7年(1932)電信電話技術調査会を設けて通信各社を招集し、設計規格を示すと共に6ケ月の期限にて説計書提出を依頼した。 この期限までに設計説明書を出したのは黒澤他2社のみであつた。逓信省は更に1ケ年の期限にてその試作を依頼した。 約束期限までに納品したのは黒澤のみであつた。
 昭和9年、この試作機の経験を基に、新に実用機の設計を開始した。逓信省は大阪逓信局より長谷技手、西川工手を応援派遣してくれた。2次、 3次と試作を重ね、最終仕様書がまとめられたのは、昭和11年12月のことであつた。
(「くろさわものがたり」)
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日本では逓信省が中心になって欧米の印刷電信機を研究していたが,1927年,アメリカのテレタイプ社製6単位和文印刷電信機を導入, 東京−大阪間で実用化された。これを機に和文の印刷電信機国産化の方針が決まり,32年に逓信省は,沖電気はじめ日本電気,安立電気, 黒沢商店など国内の6社に設計書の提出を求めた。残念ながら,この段階では沖電気は技術的な蓄積が足りず,逓信省の要請に応じて試作品まで提出したのは 黒沢商店1社であり,ようやく37年になって同社製の和文印刷電信機が実用化された。 (「OKIのあゆみ」) 25

黒澤商店製造 国産印刷電信機(テープ式) 逓信博物館蔵
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(1937年)11月3日、東京・大阪間に国産初の印刷電信機(和文6単位テープ式)が実用開始された。国産化計画以来10年の歳月を要した。
 この印刷電信機は逓信省のみならず新聞通信社にも採用された。この功績により、昭和15年(1940)大毎、東日通信賞が贈られた。 (「くろさわものがたり)
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国産印刷電信機 燦たり・この威力
科学日本の待望遂に完成 通信賞の黒澤貞次郎氏
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「東日・大毎通信、印刷賞」の授賞は,わが科学界に一の金字塔をくものとして通信学界、印刷学界等しく注目するところとなっているが. 栄えある紀元二千六百年.第二回の受賞者は第一面社告のごとく決定し、今日一日午前十一時より東京日日新聞社において.花々しく授賞式を行うが、 通信賞の黒澤貞次郎氏は困難なる印刷電信機の完成に成功して、わが電信技術に飛躍的の進展の黎明期をもたらし、・・・
(大阪毎日新聞 昭和十五年五月一日)
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印刷電信受信機           松尾式送信機          クロサワ印刷電信受信機による最初の電報
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1936年[試験・検定]この年度、電信用機器の試験品として初めて納入された、国産J-1型和文印刷受信機を試験した結果、外国品に比べ遜色のないことを確認する。 (電子技術総合研究所) 31
「この機械は印刷電信機として、今どしどし市場に出ておりますテレタイプと呼ぶものです。こちらで送信機のテープにタイブライターを打つと、 その文字のサインが打抜かれ、それが遠隔の地に伝えられ、受信機は直ちにタイプライターでそのまゝを打ち出すという組織であります。 この工場十数年間の努力の結晶です・・・(ROTARY WHEEL/T.K.) 32
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