・・・黒澤さんのも賛美歌の清い合唱の中で、
焼香をやり、
列は故人の発明品の記録写真の中を進む。
毎日文化賞が花環の中に見えたりして
なかなかよかった。
それにしても、黒澤翁が長者番付の一位、
二位であったりするのは税金を一銭一里ゴマかさなかったためであり
銀行借金はせず手形は書かないことを
モットーとして、
三十年着古した黒背広に編み上げ靴という
自ら持する節の堅いくせに、
工場員の子弟のための学校を設立したり、
社宅の家賃はついこのごろまで十五円だったり、
いまの日本に何人とかぞえられない
まれな有徳の人物であった。
わが文化史のためにも
この人の伝記の刊行を望みたい。
(毎日新聞 1953年 2月 4日)  
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ENGLISH
FRANCAIS
もくじcontents
1875- 丁稚奉公から渡米へ Childhood
1909- 銀座黒澤ビルGINZA KUROSAWA Building
1916- 吾等が村 "WARERAGA-MURA" Our Village
1923-1953 ロータリアン貞次郎/人と成り
True Rotarian
エピローグ epilogue
参考文献 Bibliography
フォトギャラリー Photo Gallery
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2012年2月23日
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Because he believes in
SERVICE TO HIS EMPLOYEES,
Mr. Kurosawa has gone out of his way
to have his school built.
It is the same with everything else Mr. Kurosawa had done. It is of his employees
that he thinks of first.
He is a respectable man indeed.
(The Japan Times 30 september 1928)

   日本語
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家賃がタッタ四円から十五円、ウソのような家がある。
大田区御園町三タイブライター製造黒澤商店蒲田工場の社宅だが、チョツトうらやましい話。
現在七十四戸で、四百人ぱかりの従業員と家族が住んでいるが、水道代が二十銭、
電気は工場持ちというのだから労使間のイザコザなど一切起らない。
・・・工場主の黒澤貞次郎さん(七八)が二十六日、脳出血でポックリ亡くなった。
・・・日本サルベージ社長谷井一作氏は「実に立派な人だった」と同氏の人柄を激賞している。
(朝日新聞 1953年1月29日)      
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