黒澤商店及び黒澤工場の機関紙 「吾等が村」より
「吾等が村」 発刊の辞  黒澤貞次郎 1922年8月号 W1
 文明の進歩は人間生活の幸福を増進すべきはずなるに、事実は往々にしてこれを裏切る場合が少なくない。 現代社会の徴象とも見るべき大規模産業組織に伴う都市人口集中のごときは確かにその一例に他ならぬ。
 都市の発達は社会進歩の必然的道程である併し都市生活は疑いもなく自然の恩恵に遠かるの生活である。さればこれをつぐのうて 余りある文明的設備の十分なる利益を享受するにあらずれば決して幸福とは云い難い。都市生活は自然と文明の二つながらの恩恵を 同時に求め得る所に都市生活としての理想あり、人間生活としての幸福がある。しかし何れの日に望み得るであろうか、文明を 求めて得ず不衛生に不愉快に生活難に、ただ自然に離反した罰だけを受けるの感あるは我国都市の現状である。
 更に大規模工業の組織に至りては内的生活の脅威である。驚くべき機械の発達は尊き人間性までもその重力の下に威抑して遂に 機械化せしめた。我等は如何にして機械より更に人間性に遡るべきであろうか。
 騒音ごう々たる工場の内に機械のごとく眼と手足とを働かし終日の勤労に疲れ果てたる体躯をば街頭に運ぶ時、 たちまちにして吾等は混雑黄塵泥ねいの新たなる困難に遭遇せねばならぬ。ようやくにして住家に辿り着くも 多くはもとより清新閑静なる自然に接して甦ることも出来ず不快と雑念との間に更に身心を損耗せねばならぬ。 神の生命を与えた人体にも病魔は宿る。社会に自然的に開展せる現象の一面にもかかる欠点の伴うもまた免れ難き所であろうか。 これらの欠点を除きつつ自然の進化に伴うこそ人間生活の使命ではあるまいか。
 広々とせる田面の内に限りなき太陽の慈光を受けて何の不安もなくその日の労働に従事し家に帰れば青々として育ちゆくそ菜の 勢よき様を楽しみ心ゆく許りに大気を呼吸して自然に親しむは「吾らが村」の有様である。
 地は近郊の蒲田にあり自然に親しみて文明に離れず内は労働を愛して人生を楽しみ田園と都市の恩恵は二つながらを 享有する所に「吾らが村」の理想がある。 現実を離れざる「ユートピア」これぞ我らが村の使命である。
 
 
秋の夜の集い  YI生 1922年11月号 W2
 秋の清々しいある一夜、平和な村の人々には楽しい集いが開かれました。
その夜は丁度村の主も交わって、懐しい昔話が耳新しく村人達に話し始められました。
 余まりに最初賑やかな為、初めの程は隅の方ではほとんど聞きとれない様でしたが、 間も無く静まりかえってはっきりとした主の声が正確に村人の耳ヘ流れ始めました。
 「でようやく着いたのが丁度今夜の様な冷たい月が出始めた夕方でした。その時分西海岸のNと言えば小さな淋しい漁村に 過ぎませんでしたから、夜に入ってもあちこちにチラチラと貧しいランプの明りが見える位でした。
 空いている腹とポケットを押えて出会った村人に尋ねました。
 「村で私が働らく様な所を御存じ御座いませんか」
  するとその村人は私の姿を繁々と見つめました。もっともその時私は十七そこそこの小さな子供でしたから不思議も 御座いません。間も無く村人は親切にSと云う漁場を尋ねる様にと教えてくれました。で一夜を過すと早速その所を訪れて その日からそのS漁場にて働らく事に成りました。
 小さな私が昼間一生懸命大人と一緒に働いて一ドルの銀貨に変ります、併しそれでは到底自分がこの村で望んで居った事が 出来相に有りませんでした。何分物が高くてその日一日で一ドルの銀貨が解け消えて仕舞うものですから、それで私も 考えさせられて今度は少し余裕を作る為、昼の労れを推して夜の仕事をも働らく様に致しました。
  一体その昼の仕事はと言えば御存知の鮭を缶詰にするのです。今と違ってその時分は可成りな労力が働らく人々に 課せられて居りました。夜の方はと言えば、是は又昼間仕事の材料にする鮭を舟から陸へと上げるのが夜の仕事と 定まって居りました。今ならクレンか何かを使ってどしどし片付けるのですが、その時分の事です、舟から陸へと一匹一匹 捕かんでは投げ捕かんでは投げしたのです。そーした様な仕事の為に全く一日を働き通しに働きました。何しろその時分に 自分が小さな室のベッドに腰を下ろすと十二時の時計を聞くのが常でした。
 そーした日を一日続け二日続けして自分の願いを追々達して行くのを楽しみにして苦しみを忍んで行きました。
 で可成りな日を過してようやく自分の願が適う日が参りました。
 丁度その時その村にも春が訪れて参いりまして暖かな太陽が私の前途を祝福してる様にポケットの中には苦しんで働いた力が 重く恵ぐまれて居りました。
 思出深い村の人口と懐かしい人々に名残りを惜んで希望に戦きつつ活々した足取りで光明の前途に旅立ちました。
 と秋の夜長の徒然に村の主は自分の半生の一節を思い浮べつつ我々村人に語ってくれました。苦しい運命と戦って倦まなかった 平和な村の主に、村人達は心から尊敬と感謝の念を抱かずにはいられなかった。  (一〇、一一、一九)
 
 
鉄筋コンクリートエ事  建 築 生  1923年1月号 W3
 五十尺の大タンク、万年不朽の鉄筋コンクリート建造物が暮の二十五日に落成して高い足場もサツパリと取り払われ、 残るは下層の揚水装置のハウジングだけとなり、其の格恰のよい雄姿を現わした時、而して僕等の腕前を今更の様に村人が認めた時、 実に嬉しい感じがした。
 で、お正月の屠蘇機嫌で、一つ気焔を揚げようか。
 鉄筋コンクリートエ事では僕等は元老の仲間株だ、今でこそ猫も杓子も鉄筋だが銀座のお店が東京での最初の新式建築で、 而して僕等が施工したのだ。
 起工は明治四十二年十月十八日と記憶して居る、工事は店の西北隅から始まって、板囲いが済んだ時「さあ工事を始める、 基礎から棟上げまで木材は一つも用いない、悉皆コンクリートで造るのだ」と、聞かされて狸の土舟でもあるまいし随分思い切った設計だと、 実は少しく気味が 悪かったが、やっつけろと始めたものだ。
 今でこそセメント会社は二割の三割のと大配当をやって居るが、その頃は不況続きで、銀座の角店が鉄筋コンクリートで建てられると聴き、 よい広告になる、何千樽でも無代でお使い被下と申込んだそうだ、義侠の主人がそれは気の毒、余計儲けがなく共、五分の純益を見て 売ってくれとようやく承知させた、代価は当時の 市価より一割も高かったそうだ、其の上、板囲いにセメントの広告までしてやった、 今、憶えば隔世の感がある。
 やがて根切も出来上り基礎工事が始まると驚いたね、何百本かの長い外濠電車の線路から外した古レールが持ち込まれて毎日毎日 カンカン々々と錆落し、往来の人達ちは何をやってるかと盛んに節穴から覗き込んだ、そうして清潔になったレールは、サンドリに組まれて、 一、三、五、のコンクリートで固められた、何の事はない鋼骨の入れてある人造石の素敵もない大きいステだ、西洋ではグリレージとか 洋式基礎とか言うのだそうだ、而て柱下は二重にも三重にも固められて地中から柱となる鉄筋が建てられた、丸棒は一寸から二分まで それぞれ配置された、何れもよく錆を落しセメント液を塗り 丁寧に組立てたものだ。
 コンクリーートの配合から練り方まで注意に注意して砂利は二回洗い、砂まで洗うと言う始末、 練り方でも少なかろうものなら大目玉、実際、 馬鹿々々しい気の長い仕事と思った、併し、出来上ったコンクリートは立派なものだった、 仮枠の板目までが見事に転写されて、全く磨きのかけられた石の様で、薄すぺらな、焼き過ぎ煉瓦等でお化粧するのは勿体ない様であった。
 で、尚一つ驚いたのは足場であった、主人公の新工夫で鉄材を主としたる釣り足場である、恐らく我国の建築では初めてであろう、 勿論此頃こそ、丸ノ内では珍らしくないが、実際、僕等の知って居る範囲では銀座のお店の建築程、深切に、熱心に丁寧に 出来上ったものは近代にないと思う。
 噺は少し脱線する様だが、其の時分、幾度かおんぷして上げた、敬ちゃんが、今日は成人せられて英国に留学せらるヽ様になったのは 感慨に堪えない、折角自重して我等が村の良い後継者となられる様に、僕等も君の為めに大いに建設をやっておく。
 
(続き)1923年3月号 W4
 「べら棒め!!!人造屋にタバコも休みもあるものかい、セメンを練り始めたら片の付くまでやらなけりゃ セメンが風を引かあ!!!」
 この意気地があって始めて立派な工事が出来るのだ、だからコンクリートを練り始めたら最後、槍が降ろうが矢が降らうが 区切の付くまでは、一気呵成に仕遂げるのが僕等の役目であり又覚悟である。
 鉄筋工事で今でも忘れないのはお店の二階の床を打った日だ、その前日「明日は大コンクリ、仕度はよいかい」と、 材料は勿論のこと人夫の手配もその部署もすっかり調って「晴」の天気予報に勇みに勇んだ。
 明くれば当日、薄暗い中に月島の家を出掛けて銀座に来てから全く明かるくなった、天候は予報通りの好天気で工事を始めた、所がさぁ大変!!!  仕事も半分の十一時頃から曇り始めた、雲足の速さたちまち墨を流した様な暗さになるとやがてゴロへゴロへと鳴り出したと同時に 大雨沛然として車軸を流す有様、雷鳴ますへ激しくなり遂には向う横丁の三十間堀に落雷したほどの大騒ぎであった。
 折角打ったコンクリートは遠慮なく流れ始める、階下ヘはセメンの瀧が落下する、この天変地異の真最中、平気の平左で 「セメント」!!!「砂」!!!「砂利」!!!と号令勇ましく仕事を継続して主人公が上を下ヘと配給してくれる角砂糖のセメント漬けに なったのをほうばりながら、とうへ床を打ち上げた勇気には恐らく鬼神も泣いたであろう、実際仕事が終った時は僕等は勿論主人公も 佐藤さんもセメント液でびっしより濡れ、二目とは見られぬ姿であった、楠君も其時分はまだ可愛いゝ小僧さんで大いに手伝ってくれたものだ。
 また建築生の自慢話でお聞き苦しい、否お読み苦しい所は御勘弁を願う、が実際コンクリートエ事の急所は、 水を注がれたセメントが硬化を始めぬ前にちゃんと練りまぜたものを仮枠の中に入れ掲き固めて仕舞うのにある。
 
村の消息 1923年6月号 W5
   英学教授
 大講堂の落成に先立ちて従業員へ英学教授は開始せられた。 絶倫なるエネルギーの所持者たる店主は貴重なる寸暇を吝まれず親しく教鞭を採らるる。間に合せである教室は多数の生徒を収容する事の 出来得ない恨事は、………知識を外来に得ようとする人ばかりでなく一般的に必要に迫られつつある時代に、如何に現在の受学者が他の 従業者の羨望の的とならざるを得なかった。……… 切実に講堂落成の速かならん事を祈る。
 第二期講習会
 第二期タイプライターの構造及その調節に関する講習会は本月一日より開始せられた。前回の如く庄野篤朗氏主任講師の下に助手として 営業部の田中千代造氏が熱心講習を担任せられ傍ら店主が英字の手解きを教えられつつあった親切を特記する。  講習生は遠来の方々であったので建築中の一棟を宿泊所として急造する為に少からす木工部は繁忙を極めた。  昨年に比して長かった講習期日はつつがなく終られて、御園本邸の慰労会と記念の撮影を採られて二十日帰国の途に着かれた。
  スペシャルボーナス
  不景気来と事業縮小と失業問題にて毎日の新聞にて脅かされて居る時代にあたかも奇蹟のような事実は吾等が村のスペシャルボーナスである。 本月上旬最近の入店者を除いて一様に破格の金額を店主より贈与された。言うまでもなく一般緊縮を旨としなければならぬ時節がら、 絶対有益の使途に当てられん事を編集子が老婆心までに添えておく。
 
夜警の一夜 A生  1924年1月号 W6
 万物みな凍るかと思われる寒い夜だ、武蔵野名物のからかぜはビュービューと池上の丘を越して吹いて来る。
 カチカチ、 カ、チ、夜は追々更けて舎宅の燈火も一つ、二つと消えてゆく、厚く凍った地上の淋しさは何んとも言えない。
 舎宅の大通りから消防小屋の前を、それから今日も昼間一日働いたなつかしい工場は異状がないかとA館の変圧室に気を配り出入口は何れも しっかり押して見て戸締り厳重なのを見屈ける。
 カチカチ、 カ、チ、淋しい地上にひきかえて冬の空の賑かさ、今夜は名残りなく晴れて天に一点の雲もない、星の観望にはもってこいの好天気。 白、黄、青、赤、とりどりの色で輝いているあの星ぼし、どれでもみんな何千万億兆里を三ツも四ツも乗け合せたほどの遠方にある太陽だ、 しかも大きさも光度も我が太陽の何十倍、何百倍と言うのだから自分の小微を感ぜざるを得ない、洪大無辺の宇宙と言うが恐らく 形容する詞はないのだろう。
 何んと言ってもオリオンは冬の空の大建て者、今は丁度頭上に雄姿を現している三ッ星の剣をさげた風采はギリシヤの神話で猟夫だとの事だが、 大犬、小犬、の両星座を引率しているから尤もな事だ。
 頭上から少しく西に六つ七つ密接しているのは七人の美しい姫君達が手に手をとり合って広いひろい天界の舞踏室ではしゃいでいるとか言う プレヤデス、一寸往って見たい様な気もする。頭上からは北西に行儀正しくW字形に列んでいる可愛らしいカシヲペヤがいる、北斗七星はもう大分 高くなったから十一時も過ぎたろう、この星さえ輝いているならば僕には時計は無用である。
 カチカチ カ、チ、先刻から黒い影が見えたり隠れたり後から来る様な気がしたが彼は今、はっきりと向うに佇んでいる、果して曲者!!  近く寄って誰何してやろう。
 「どなたです!!」返事がない、
 「どなたです、何の用です」
 怪しからぬ奴だ、正体を見届けてやれと一層近寄って見ると旦那様だ、にこにこ笑っていらっしゃる。
 「今晩は、御寒う御座います」
 「御苦労様、別に異状はないかい」
 「はい異状はありません」
 「では帰ろう、宜しく頼む」
 と言い残して北極星の輝いている本宅の方へ消へてしまった。
 もう程なく十二時、僕の当番も終いになる、それまでは星を友として愉快に勤務しよう、カチカチ、カ、チ。
 
御奉公を終えて  藤井利一 1924年3月号 W7
 麗らかな、のどかな、春が恵まれました。それでなくとも何時も春の様な平和な吾等が村へ、私は三ヶ月の 軍隊生活を済ませて帰って参りました。
 私は健康と幸福とに輝いている、吾等が村の人々をどんなに憧れたことで御座いましょう。
 わけもなく兵舎の蔭に沈んで行く太陽を見るに付け・・・毎月御主人様から送って下さる『吾等が村』誌を班で淋しく 読むに付けても・・・。御奉公を終えてこの村へ帰りました時、僕は丁度、そうです、それは砂漠通行者がオアシスヘたどり 着いた心地であろうと思われました。
 翌朝から工場に出ると、アノ薄暗い班にひきかえて明るい明るいこの工場、アノ班長殿の光った目も無ければ堅苦しい 律則も無い只慈みの愛にもえた人々の瞳に迎えられるので御座いました、自由だ!幸福だ!腹から叫びたくなりました。
 休憩時には相変らず熱心なボール。それも色々な工場の進歩と共に長足の進歩をしているのに目を丸くしました。少し 歩みました、桜はチロリチロリもう紅い火をとぼしております、スウッと爽かな春の風が吹いて行きます、アノ富士の嶺はと 見れば晴れ渡った西の空のあなた遥に灰色の霊峰が甲武の山々の上に聳えている、茫漠たる周囲遮るものもない、オヤ学校の 建築がもうあんなに出来ている僕は驚きました。
 べルが鳴ると又工場で働くに余念もありません。
 舎宅の方へ行った時鶯か何かの鳴声がしました、村は静かです、幼稚園からはコーラスのメロディが流れて来ます。
 僕は鶯の様だった今島様を思いました、隊へも御便り下すったっけ、僕は今島様に逢いたくなりました、けれども今は祈るより 外ありませんでした。  (十一年三月)
 
東京から (一)  K 1923年12月号 W8
 屋上の庭園、著しき都会の進歩で最近では余り珍しくもないが、つい四、五年前までは、都下の新聞社がわざわざ 写真班を向けられて、屋上の庭園で夕食後の店員がボールの遊技振りを撮られた、翌日の朝日新聞には立派なる写真版と共に 狭隘繁雑なる都会の大建築には是非共なくてはならない、とまで賞えられたものだ。
それかあらぬか近頃では相当大きな建物では大分屋上を庭園に利用するようになった、同じ地上でありながら一切の拘束を免れた ような気持ちのする楽園は我等が前には一ト昔も前から与えられて有ったのだ、何事にも人の意表に出て先鞭を付ける我等が店主は いささか自画自賛だが確かに当代の先覚者と言い得る事が出来よう。
(その当時の新開記事と写真を転載したいと思ったが事情が免さないので割愛した)
 
1922年12月号  英文欄 
  本欄は技術上もしくは文学上有益で趣味もありかつ諸君の職務上必要な知識となり、 又は語学研究の資料となる様なものを引続き掲げます。それ故なるべく保存して置かれる事をおすすめいたします。
W9
Letters from Father to Kei-chan(N0.1)December lst 1921  

    My dear Keiichi,At London.
    Your letter of November 19th from Shanghai received. I am glad you have seen one of the great rivers of the main land of Asia.
    Your letter is very interesting as it is written on the Menu card of the ship. This is a big dinner,and I will call it “ good enough for the King.”
    I am sure you were bright enough not to take every one of the dishes mentioned there,−from Hors  D’Oeuvre down to “ York Ham ” under Cold Buffet.
    Generally speaking,the ship will feed its cabin passengers plentifully. You have tea and toast while in bed in the morning,then a good breakfast,beef-tea at eleven and luncheon at half past twelve,another tea at three in the afternoon and big dinner in the evening. One feeding after another comes in such quick succession。
    Naturally,there is biggest chance for getting a stomach-ache if you help yourself too much every time. l want you to take every precaution of what you eat. Always take those things that will help you most in giving you good fresh and pure blood.
    Of course when you feel you have helped too much about the good food,the ship's doctor might give you some Taka-Diastaze for digesting the starch and something like Lactostaze for digesting the meat. And with the help of these medical compounds you may continue to take the food more than really necessary.
    We11,this is very much like a business man doing his business all the time being helped by the bank instead of helping the bank by his business. You don't need high mathematics to figure out the business 1ife of his. A short life and quick failure is very sure to come.
    My dear boy, the brain food that the schools give at Cambridge is very much like the food for the body. I don’t want you to ever attempt to take everything offered there. I have every faith in your wisdom that you take those lessons that will make you in the end a man with a clean heart,sound common-sense and sweet conscience,beside making you a good English writer and speaker.
     You wi11 receive regularly “ warera ga mura ” and the November Number is really your own. I hope you will like it.
    Every one of the family is we11,and we will write you from time to time,and we want you to write to every one of us as often as possible.
                    Yours loving father,

 
               東京 十二月一日
  十一月十九日附上海からの手紙は受取った、お前がアジア大陸を流れる、偉大な河を見たのは結構だ。
  手紙が汽船の献立カードに書いてあったのは面白い、見れば非常な御馳走で王様に差上げても結構だと言い度い、メニューに 載っている御馳走………オ−ドウブルからコールドバフエツトのヨークハムまで………を一皿残らず平げるでないことは よくわかっているね。
  一体客船は一等船客に食事を豊富に供し過ぎる、朝に床にいる間に紅茶と焼パンを、それから結構な朝食、十一時にはビーフ、ティー、 そして十二時半に昼食、三時にはまたお茶が出てそして晩には非常な御馳走だ、食べるあとから後からと続いて食物がやってくる。
  自然その度その度につい食べ過ぎるとどうしても胃腸を痛める機会が多い、食物には極く注意しなさい、 清い血を増し善き筋肉を殖やすに一番よいものを選んで摂りなさい。
  勿論お前が御馳走を少し喰べすぎたと思ふときは船医が澱粉を消化すタカデアフターゼや肉を消化すラクトスターゼなどを呉れる、 斯ういふ薬の力を借りて必要以上に喰べ過ぎるのは丁度自分の業務も繁昌させ取引銀行の業務も亦繁昌させようと謂ふ商売振りでなく、 終始銀行の援助を受けて商売を行っている商人と全く似ている、そんな商売は何時まで続くか?其計算に高等数学は要らないよ短命と 失敗の速さは、まあ判りきっている。
  敬ちゃん!ケンブリッヂの学校で与える頭脳の糧も全く身体の糧と同じことだ、有りとあらゆる学科を悉く修めようとは企てまいね、 知識の喰い過ぎには医者がないよ。   やがてはお前が立派な英文が書け立派に英語が話せるようになり純潔な心、健全な常識、清い良心を備えた人と成るに必要な 学科だけを選んてお学び。
  月々「吾等が村」を送る別封で送った十一月号は全く敬一号である。
  家の者は皆達者だ、そして皆絶えずお前に手紙を書くだろうお前も皆に出来るだけ度々手紙をよこしなさい。
             さようなら 父より
  敬 一 殿
 
Letters from Father to Kei-chan (N0.2) Tokio,December l4th 1921 W10
 My dear Keiichi, at London.
   I have a few minutes left before I take 7:30 Express train to Osaka this evening, and l will drop some lines to you hurriedly.
   When this letter reaches you, you will have already arrived London after a journey half around the world.  I want you to write me very fully your first impression of the great metropolis of the world--the city of London.
   Your welcome letter from Hongkong received and l am very glad to see you are getting along so nicely. Now you have seen nearly all the ports of call of your steamer from Hongkong down to London are the British possession, and that you have realized some of the greatness of the Great Britain.
   You tell me in your letter that you have bought some white suits at Hongkong. I hope it did fit you well and you were comfortable in it crossing the lndian Ocean.  I 1ike the white colour as it means hope and as it means purity. But I do not like white suit so much for myself. You have never seen me wearing white suit even in the hottest day of the hot summer here; because I must give too much thought to it to keep the dress spotless, and because it reminds me the down-fall of Korea whose people, rich and poor alike dresses in white. Of course I do not wish to see my country shall ever come under foreign rule like Chosen. I do not know very much about India. You must tell me if the people there wears the white suit.
   Mr.R.T--is so good to us and is doing everything to find good school for both of you. I am sure you will feel thankful for his kindness.
   You will give my best regards to Mr. T--and te11 him I am very thankful for his kindness.
   A Merry Christmas,A Happy,Happy New Year to you and to Nobusan.
          With love from all of us,
                       Father.
 
 東京 十二月十四日、
 敬ちゃん。
 今夜大阪に往く七時三十分の急行に乗る前に一寸時間があるから急いで数行を書てあげる。
 この手紙が屈く頃にはお前は既に世界を半周してロンドンに着いているだろ−、 世界の大都府一一ロンドン市を見たお前の最初の印象を細かに書いて寄こしなさい。
お前の香港からの手紙は歓迎した、相変らず元気で暮っているのは結構だ。
 香港からロンドンまで汽船の寄港地は大概英国の領土である、大英国の大なる一端を見る事が出来た訳けだ。
 香港で白い洋服を買うたさうだね、身体によく合って印度洋を通るときに愉快であったら可い、私は白色は好きだ、 希望と純潔を意味するから。
 けれども自分では白服を着るのは左程好かない、土用の暑い暑い日でも私が白服を着たのをお前は一度も見たことがあるまい、 それは着物をちっとも汚すまいとよけいな気を使ふのを好まぬからだ、それにあれはなんだか私に韓国の衰亡を思はせる、 朝鮮人は貧乏人も金持も一様に白い服を着ている、無論私は朝鮮のやうに母国が外国の支配をうけるようになるのは 何ふしても願はれない。
 私は印度はあまりよく知らない、英領印度の人々は白服を着るかどうだか書いておよこし。
 高――様はお前達に良い学校を選んで入学させようと非常の御尽力だ、御厚意は厚く感謝しなさい。
津――様にどうかよろしくと云っておくれ、そして御親切を大層感謝していますと伝えておくれ。
 敬ちゃんーー宣さんも。
 楽しいクリスマスと幸福な新年を迎えるように。
            左様なら  父より
 
Letters from Father to Keichan (No.3) January 7th 1922 W11
    My dear Keiichi, at London.
    I am more than pleased to see your boat sailed off home on peace day and got in London on your papa’s birthday.
Your arrival in London naturally calls to my mind my arrival in New York something like a quarter of a century ago.
    I must caution you,my dear boy,not to say “YES” every time you are questioned to respond. There is a big difference between our way of responding and Englishmen’s way of doing the same.
    When I have landed New York, I was, of course, a young boy, and my knowledge of the language was very limited. I must confess I was perfectly ignorant of any technical terms used by the hair-cutting-men there.
    I wanted very badly to have my hairs cut. After a search for some cheap-looking barbar shop I found one with a sign on the window glass “ HAIR-CUTT1NG 25 cents” I have first consulted with my pocket for this expenditure as I knew the total sum of the coins and notes in my possession didn’t exceed five dollars.
    I had the courage enough to expend 25 cents out of that few dollars. I went in and said “ Hair cut, please.”
“A11 right, take the seat ”was the barbar’s response in welcoming the stranger.
    We11, the hair cutting operation began at once. When it was very nearly finished, the barbar spoke a word asking me something which I did not understand. However, I said “ YES ” smartly.
    To my great surprise, the barbar lighted something like a long wick of the candle, and began to burn my hairs. I have never before seen dressing hairs in this fashion, except the hairs of the chicken when the feather of the poor little bird is al1 picked off,and then it is done by burning a sheet or two of some old paper. Then the chicken’s skin is dressed clean and smooth ready to be sliced for cooking.
    I kept myself self-possessed as I wanted to show the presence of my mind holding, nevertheless, myself at readiness to jump off at the last minute as I didn’t care to have the fire set on my head and make it bald-headed like that chick’s smooth skin. The unique operation, however, came to pass without any serious danger to me.
 “Shave,Sir? The barbar asked me again. I understood this time what he meant. I said “ YES.” I said no thinking it would cost me no extra money same as my own country.
 When shaving was done,the barbar again questioned me with another new word which I did not understand, but I said my usua1 “ YES.”
     Then he poured upon my head some chemical stuffs out of the bottles on the shelf,washed hairs thoroughly, sprinkled with oils and perfumes, and his job was finished.
  I thanked him and took out of my pocket 25 cent, and handed him for his service. “No,No! One dollar & twenty five cents ” he exclaimed. He insisted me to pay that much. I,pointing to his sign “ HAIR-CUTTING 25 cents” objected to pay any more than 25 cent. He then explained me that 25 cents is only for hair-cutting and as I have had various other operations besides mere cutting of hairs I have got to pay for every one of his performances.
   To be sure, he handled the whole affair diplomatically, and I finally paid him all he asked for like a gentleman. But my pocket dwindled into half! Poor boy I was then about money,but rich in ambition.
   Ever since I have shaved myself before going to the barbar shop,and had the hair-cutting only. Came back home quick and washed and put a finishing touch myself all through my long sojourn in America.
    I want you to understand thoroughly any question you are put to before you say “ YES ”or“ N0.”This will save you from many troubles. You will be very slow naturally in this way. Ordinary men might call you“ You aren’t very bright” but wise men will take you as a man of great prudence. Of course you cann’t afford to neglect the wise men's opinion of you. I want you to take cared your penny as then your pound will take care of itself.
   Be good boy and with my love to Nobusan,                    Your loving father
 
父 よ り 英 国 留 学 中 の 敬 一 へ  (第三信)  
  敬一どの、 東京 、一月七日
 お前の乗船が平和記念日に故郷を出帆してパパの誕生日にロンドンに着いたのは何よりも嬉しい、お前のロンドン到着は そぞろに四半世紀も前の昔、私のニューヨーク到着当時を思ひ出させる。
 敬ちゃん、注意おしよ、問はれて返事をするたび毎に「然り」とばかりいうんぢゃないよ、我々と英国人とは返事の仕方が大分違う。
 私がニューヨークヘ上陸したときは勿論年弱な一青年で語学の知識も極く限られて居た。私は白状する、床屋で使ふ理髪用語 なんか全然知らなかった。けれども頭髪が伸びて刈込をしなければならなかったから、安そうな床屋をさがしてやっと窓ガラスに 「刈込二十五仙」と書いてある家を見付けた。私は自分の財布の中に銅貨とお札とみなまぜて、五弗とはないことが わかっていたから、この支出をするにまづ財布と協議をした。そして大奮発してその数金の中から二十五仙を出すことにした。
 私は床屋に入って「刈込を、何卒ぞ」と云った。
「オールライお掛けなさい」と理髪人は異人の私を歓迎した。そこで直ぐ刈込が始まった。 そして大抵それがすんだ時分に理髪人が私に一言云った。問ふた意味はわからなかったが私は利巧らしく「然り」と答へたものさ、 すると理髪人は蝋燭の心の長いやうなものに火をつけて私の髪を焼き初めた。吃驚したね、こんな調髪法は未だかつて見たことがない、 只知って居るのは鳥の羽をむしりとって残った毛を古紙を一ニ枚燃やしてやくことだ、するとその皮膚はキレイに滑らかになり、 切って料理するばかりになる。
 私は自分の度胸を示してやれと思ったのでヂット落ちついていた。けれどもあの焼いて滑らかになった雛の皮のやうに自分の頭に 火をつけてハゲあたまにされてはたまらないから、いざといふ時にはいつでも飛出せるやうに用意して身構へた。けれどもその珍妙な理髪法は 大した危険なしにすんだ。
「お剃りになりますか」理髪人は又問うた。今度は解ったよ、私は「然り」と言ったね。
 それは自分の国と同じように別に料金が費るとは思はなかったからだ。顔剃りがすむと理髪人が又新規な一語で問を発した。 勿論了解しなかったがやっぱり「然り」とやつけた。さうすると棚の上の瓶をとり出して、私の頭に薬を注いですっかり洗ひ、油や 香水なぞを振り掛けて彼の仕事は終わった。
 私は礼をいって財布から二十五仙出して彼に渡した「否、否一弗二十五仙です」と彼ははげしく言ふて、それだけ払へと主張した。 私は「刈込二十五仙」の看板を指さして二十五仙よりよけいに払へないと反対した。そこで彼は二十五仙は刈込だけで私が刈込の外に 色々の仕事をさせたから、それ等の仕事に対してそれぞれ払はなければならぬと説明した。ほんとうに彼は事件を外交的に扱ふので、遂に 彼の要求した金額を紳士のやうに払ったが、財布の中は半分に減縮してしまった。貧乏であったねその当時は、 けれども立志の精神は富んでいたよ。
 それからは永年の米国滞在中、いつも床屋へ行く前に自分で顔を剃って髪だけ刈ってもらった。髪を刈ると急いで家へ帰って 自分で洗って仕上げをした。
 ひとに何か問はれて「然り」とか「否」とか答へる前に問の意味をよく了解するやうに心掛けなさい、そうすれば面倒は少い、 そうすると自然おそい、普通の人はお前のことを「利巧でない」と言ふかもしれない、然し賢明な人はお前を非常に慎重な人だと識てくれる、 勿論賢明な人の意見は、おろそかにしてはならない。
 ぺニ−の小銭を気をつけて使ひなさい、さればお前のポンドの大札は自然に大切になる様になる。
  素行をお慎しみ、宣さんによろしく
                父より
 
Letters from Father to Kei-chan(N0.4)        Tokio,January 29th l 922 W12
   My dear Keiichi,at London.
   I want to tell you, I wasn't broad-gauged enough about amateur photography. Every-time I saw the able-bodied young fellow carrying his “Eastman” I couldn’t help to be displeased. Sometimes I expressed my sentiment manfully; but most of time I kept it womanfully in the depth of my soul. To be sure, the fellow who is ambitions enough to get to the top of his fellow-creatures has got to work hard and study hard and there is no time for him to be fooling about photographing, developing,printing and so forth.
   But I am just finding it better for me to compromise a little bit.
   I hope it wouldn’t shock you to hear that your Pa has lost one of his best brothers. He is Hirotake Imajima. Hirotake died at Osaka on the 27th, January. When an urgent message“ Hirotake failing” wired from Osaka, I rushed down there overnight, but it was too late. I found him there lying breathless, stiff and cold. Alas, the death claimed his life and with it his future and his usefulness. He was loyal, faithful and always helpful to everyone.
   “The trumpet call obey” and he obeyed the ca11,and journeyed to Osaka on duty. His end was like a chivalrous knight of the good old time worthy of a son of his father--samurai of the Tottori clan. May the Lord God forever abides with him protecting under His wings of love.
   Photograph you've taken on the deck of the ship at Kobe is one of the best of his recent pictures, and I have now to treasure it more than anything else. I must admit your kodak did at least one good thing.
  We all have to die once. You, as a Christian boy, should be strong in the strength of our Lord when any sad news reaches you.
   My dear boy, this letter does not at all mean to encourage you about your art of photography. I want you while you are in the spring-time of life,to till hard the soil and sow the good seeds and plenty of it that you may be rewarded with a good harvest in your life's autumn. Should you spend aimlessly once-gone-never-return days of your youth,believe me, as sure as the sun rises from the east, your autumn will be harvestless. I want you to stretch your imagination over to that day.
      With my love to Nobusan,                Your loving father,
 
父より英国留学中の敬一へ (第四信)      東京 一月二十九日  
  お前に話すが素人写真術に就いては私の理解は十分に広軌式でなかった。
 で、働き盛りの青年が“イーストマン”を携えて、ぶらついて居るのを見る度に不快に感ぜざるを得なかった、時には 自分の感情を男らしく言い放ったが大概は女らしく胸底深く収めておいた、言うまでもなく人間仲間から傑出しようと志ある青年は 懸命に働き又懸命に学ばねばならぬから、撮影、現像、焼付等にからかって居る暇はないけれ共本件に就いては極く少し計り 譲歩しても可いと思う。
  お前の父が大切な兄弟の一人を失ったと告げられても驚愕しないでお呉れ、その一人は今島博武だ、博武は一月二七日 大阪で長逝した。”ヒロタケキトク”の急電が来た時に即日夜行で大阪に飛んで往ったが既に遅し、私が着い時には最早や呼吸も なく堅くかつ冷たくなっていた。嗚呼死は彼の生命を奪い併せて彼の将来と有用の材とを奪ってしまった。忠誠にして真実誰にでも 深切に良く手伝って呉れたのは博武であった。
  “きけよつのぶえ”彼は召に応じ重任を担いて大阪に赴いた。彼の最後は古武士の如く鳥取藩士たりし父の子たる面目を立派に保った。 願くば神永久に彼と共に居まし愛の翼の下に保護し給わんことを。
  お前が神戸で汽船の甲板上で撮影した彼の写真は大出来で又最近のである、今後私はこの写真を何ものよりも大切にせねばならぬ。 お前の写真器は少く共一度功績を挙げた訳だ。言うまでもなくお互いに一度は死なねばならぬ、お前は “クリスチャン”として、 どんな悲しい消息を受くる事があっても主の力に依って必ず心強くしておいでなさい。
 敬ちゃん この手紙は決してお前の写真術奨励を意味するのでない、お前が今青春の時期にある間に懸命に心の地を耕し善き種を沢山蒔き、 お前の生涯の秋に十分の収穫が酬いられる様になさい、けれ共一度去りてはまた還らざる青春の時を目的もなく空費するなれば 太陽は必ず東から昇る様にお前の秋は無収穫であらう。
 左様したらば…………その日を想像して御覧…………
  宣さんによろしく       父より
 
Letters from Father to Keichan (No. 5)  March 5th, 1922 W13
My dear Keiichi, at The Paxton Park.
I am delighted to learn that you have settled down in The Paxton Park after a prolonged sight-seeing in London. What a wonderful opportunity you now have for learning the life and language of England and the best of her culture. You must be thankful for a rare privilege that you are enjoying.
"Ye are the salt of the earth: Ye are, the light of the world" I want you to be an example of the best of students from the Land of the Rising Sun. You've got to be faithful to your masters; dutiful as a son, and be true to your ownself and to everyone.
While you have a decided advantage for learning, I want you to know that there is no particular highway leading to the height of it. You may get there through the Paxton Park and the Cambridge, we can get there just as well through the piles of the paper here in the office or through the sounding anvils and highspeed machinery down in the factory. That doesn't make any particular difference. All that necessary is to see the things as one should see it, and take a real lesson out of it every time.
Strange as the things are of this world, the fellow who has every advantage is usually beaten by the fellow who has every disadvantage. The speedy hare that takes a nap on his way will never win a race. I want you, if you ever care to win, to be as steady and as persistent as the tortoise. Never mind if it takes a little more time "Slow but sure "is the best for every thing.
To be sure, the life is like milling the tough steel. You've got to keep the oil pouring on and on until the job is finished. The minute the oil is off, the heat generated will spoil both the tool and the job. I want you to keep the oil on and never off it.
Of course, I expect of you a clean, bright and polished piece of job. Take good care of yourself and with my love to Nobusan. Your loving father,
 
父より英国留学中の敬一へ (第五信) 東京 三月五日  
  敬一どの
  長く続いたロンドン見物もすんでパックストンパークに落ちついたと聞いて喜ばしい。
  お前は今英国の生活、国語及最も進んだ文化を学ぶのに何と素ばらしい機会を握っていることだ、この得難い特典に 対して感謝しなければならぬ。
 「汝等は地の塩なり、汝等は世の光なり」とある通りお前は日の出の国から来ている学生の最善良の模範になってお呉れ、 先生には誠実に、よく子たる本分を守り、自分に信、友に信、相信じねばならぬ。
  よくお悟り! お前は今学問するに非常な使益を持っているが凡そ学問の頂点に達するには何も特別の大道がある訳合でない、 お前はバックストンパークやケンブリッヂを通ってそこへ行くことが出来るように私達は又事務室でうづ高い書類の堆積裡に おっても又工場の金敷の響き、高速度の機械が回転している喧騒裡にあっても修養してそこへ達することが出来る、そこに 少しの違いもない、肝要なのは総ての事物をほんとうによく観察し、その度毎に実際の教訓を得ることだ。
    この世の中のことは不思議なものであらゆる便益をもった者が却てあらゆる不便益をもった者に打負かされるのだ。
  速い兎も途中で昼寝をしていては決して競走には勝てないよ、だからお前も勝利を得ようとする精紳なら亀のように真面目に たわまずやりなさい、少し位余計に時がかかってもかまはない「おそくとも確実」とは何事にも一番よい事だよ。
    実際人生は剛い鋼を削るようなものだ、その仕事が終るまで絶えず油をそそいでいなければならない。
    その油が切れると直ちに熱が発生して工具も仕事もどっちも駄目になる、油断をしてはいけない訳さ、勿論私はお前が潔白な光明な、 そしてよく磨のかけられた製品になって呉れることを期待している。
  身体を大切におしよ、宣さんによろしく
                父 よ り
 
Letters from Father to Keichan (No.6) May l3th l922  W14
   My dear Keiichi,
  Your letter No. 7, together with photos,reached home yesterday. We are all delighted to hear from you once a week.  Certainly,Dick is a kind boy. I want you to tell him that we all think very much of him.
  Afternoon works the boys are put to on the Estate interest me more than any other school lessons. l want you to work as hard as any other boy. I shall be perfectly delighted if I hear the wood you cut burns better, and the ground you roller-roll is smoother in finish. It's the quality,not the quantity,that tells in the end.
   We've got to work to get the food. We've got to work to get the clothing. In fact,we've got to work,head or hand or both, to get anything that is necessary for our existence on the earth. Education is good when it helps work,一一helps to produce more from work. Education is no good at all, when it helps the boy to dislike work,but helps him to like an easy life. I don't mind so much about a little bit of fault in your Greek as I do mind very much about a soft and blank hand that wouldn't touch the work without gloves on.
   I want to tell you about His Royal Highness the Prince of Wales His Royal Highness has arrived Tokio on April 12th and departed Japan from Kagoshima on May 9th. During his four weeks' stay in Japan,he has won the heart of every inhabitant of this land.
   The Prince,I am impressed, is extremely human,and is extremely sympathetic with everyone. He is doing his best, I can tell you, in learning lessons to be a future head of the British Empire.
   The Prince is a sportman and a lover of music. 0ne of the papers says that he jumped right in among the band and played with a wonderful skill, Large Drum, Cymbal,Castanet,&c. on board the “ Keifukumaru " during the cruise in the Inland Sea.  I know he loves music, but, l know,he loves his business as wel1--his business,that is to say,to be a King. I must congratulate the British people on having such a splendid person for the Heir to the Throne.
   Be good boy and with my love to Nobusan,
   Yours loving father,
 
父より英国留学中の敬一へ(第六信)  東京 五月十三日  
  敬一どの 
 お前の第七信は写真と共に昨日着いた。一週に一度づつお前から便りがあるので皆んな大喜びだ。ほんとに、デイックは親切だ、皆んなで 彼を憶うていると伝えておくれ。
   学校の大きな地所内で学生達に課せらるる午後の仕事はどの学課よりも私の気に入ったよ、他の者に劣らぬ様に精一杯働らきなさい、お前の 伐った木が一層よく燃え、お前がローラーでやった地均らしは一層滑らかだと聞けば私は真実喜ばしい、質だよ、量ではない、最後に語るものは。
  我々は糧を得るために働かねばならぬ、衣を得るために働かねばならぬ、事実我々が地上に生存を保つ為に必要な物は何を得るにも頭を働かすか、 手を働かすか、或は双方働かさねばならぬ、教育は仕事を助け、仕事から一層産出する様に助けてこそ価値がある、教育が仕事を嫌わせ、 安逸な生活を好ませる様ならば全く無益だ、お前のギリシャ語にわずかな欠点があったとて私は大して気にしないが、手袋をはめずには仕事に 触らないような柔かな書人のない手は非常に気になる。
  英国皇太子殿下のことを知らせよう、殿下は四月十二日.に東京に御着になって五月九日に鹿児島から日本をお離れになった。四週間の 御滞日中殿下は国内の住民を悉く成動さした、殿下は極めて人間味があり誰に対しても非常に御深切なお方であると私は思う。   ほんとうに殿下は英帝国の末来の王者としての道を今一生懸命に学んでおられる。
 殿下はスポートマンであり又音楽の愛好者である。ある新聞によると殿下は内海御巡遊中慶福丸の船中で楽隊の仲間に飛び入られて大太鼓や チンパルやキャスタネットなどを美事お上手に奏されたそうだ、殿下は音楽を愛されると同様に御自身の職務をも愛される、即ち末来の国王となるぺき 御職務を愛せらるる。そのような方を王位の継承者として有つ英国民を私は祝賀せぬばならない。
   左様なら  宣さんによろしく
              父 よ り
 
 Letters from Father to Keichan (No. 7)   July 10th l922 W15
     My dear Keiichi,
 Thank you for the pressed blue-bells you've sent to us. I have asked Yukichan to paste them on a heavy cardboard, and inscribe thereon the following sacred words :
 “And why take ye thought for raiment? Consider the lilies of the field, how they grow; they toil not, neither do they spin;and yet I say unto you, That even Solomon in all his glory was not arrayed like one of these."
 When it is done, it will be framed and hung on the wall of our dining room.
  I 1ove the wild flours. They are the fine-arts side of the creation. Let us just stop to think that the Hand that created the sun, moon and stars above, created also those lovely blue-bells, even one of which surpassing the glory of the monarch.
  The cultivated flowers, I know, are the favorite of the men of science; but the wild flowers are the delight of the poets.  Right here, I want you to study we11 Bum's, Milton's, Shakespeare's, Tennyson's and any other good English prose and poetry.  They are the cream of the English tongue and thought, and a little bit of it is needed to sweeten and make tasty the business letters that you may be writing later on.
  To be sure, May days will not be so pretty if the blue-bells or the lilies are only the flowers of the field.
 There are countless variety of them in colours as we11 as in shapes. That's the beauty and wonder of it.
  Just so with the men, also the boys. The natures and dispositions of theirs are as numberless as the sand of the shore. Some are agreeable, others disagreeable. Never mind that. It will do you good to be at least friendly if you cannot be a friend to all. Maybe we've got to flock together, like the birds, by the feathers. I don't want you to ever judge another, whoever it is. Should you do, you may likewise be judged by him.
  0f course, I am perfectly delighted when I heard from your headmaster who said that you have endeared yourself to everyone in the school by your sunny, warm, and unselfish nature. It's up to the masters to make you a gentleman; it's up to your ownself to make you a scholar; and it's up to me to make you a businessman. That's a trio each one of us has got to play in a man-making proposition in a world I live in.
    Good-bye and be good boy and with my love to Nobusan,
         Your loving father,
 
父より英国留学中の敬一へ (第七信) 東京 七月十日
 敬ちゃん
 ブルーべルの押花を送ってくれてあり難う、その花を厚いカードに張りつけてそこへ次の聖句を書くように雪ちゃんに頼んだ。
   『また何故に衣のことを思いわずらうや、野の百合花は如何して長(そだつ)かを思え、労(つとめ)ず紡(つむ)がざる也、われ汝らに告げん、 ソロモンの栄華の極の時だにもその装(よそおい)この花の一つに及ばざりき』
 出来上ったら額に入れて食堂の壁に懸けて置く。
 私は野生の草花を愛する、野に咲く花は天地創造の美術的側面だ、天に日、月、星辰を創造った手が又王者の栄華にも優るほどの美しいこの ブルーべルを創ったことを考えよう。
 培養された草花は科学者の愛好物、野生の草花は詩人のよろこびである、さあ、ここだ、お前はバーンスやミルトンやシエクスピーヤやテニソンや その他の良い英国の散文や詩文をしっかり学びなさい。
 これ皆英国の言語や思想のクリームである、そしてその極僅かが何れお前が書くようになる商業文を甘くもし、又昧もつける事になる。  実際ブルーべルでなければリリーのみが野を飾る花であったなら五月の日はそんなに美しくはないだろう、ところが数えきれぬ位多くの種類が 色にも形にもあってこそ、美しくもあり又驚もする訳だ。
 人も同様だし、又青年もだ、銘々の性質も気性も浜の真砂のように数限りなく違っている、或者とは協和し又或者とは協和しない、が構うに及ばぬ、 お前が凡ての者に友人であり得なくとも少くとも皆に友情を示すのはお前の為になる、人間も鳥の様だが、毛色に別れて群がるのかな、 誰であろうと他人を決して審くのではない、他人を審けば又自分も同じようにその人に審かれる。
 校長さんから通信があって、お前の快活な深切な利己心のない気性が学校でみんなにお前を愛着させたとの事で全く嬉しい。
 お前をゼントルマンにするのは先生方の役目、学者とするのはお前自身の役目、ビジネスマンに仕立てるのは私の役目だ。
 我々実業界の人物養成問題はこの三拍子揃ったトリオ合奏をせねばなるまい。
   では左様なら、宣さんによろしく
           父より
 
Letters from Father to Keichan (N0. 8) August l 8th 1922 W16
My dear Keiichi,
   Yours of June 9th duly received. It is too bad that you haven't got as yet your machine from the Rudge people.  I am afraid you may not get it until the Coventry Work reopens for production,and the working people returns to their bench and machinery.
   You must have felt pretty keenly about a strike. Sure thing, it's no good at a11. It doesn't pay anybody,--the working men, their employers,the buying public. The trouble, however, of this kind is bound to settle sooner or later, and the machine will come to you eventually. Then, you would be thankful for the patience of the capital and the skill of the labour. Won't you?
   Of course you wouldn't mind very much about the delay,since everyone of us is gifted with legs and feet. We can carry ourselves anywhere except walking over the water;but that won't trouble you either. You have once invented floating shoes, and all you've got to do is to perfect it.
   The labour trouble is a sort of epidemic for which there is no effective quarantine to check spreading of the disease. There is the capital trouble too. The banks burst;business houses fail; factories close. And this trouble is just as serious as any although it is not talked about as much as the other. Of course, one has got its ringleaders and the other hasn't got.
   The Professors write volumes about Capital and Labour, its problems and solutions. As a practical man, I am afraid if they ever have had an experience of a day's real hard work and real pleasure in working; or if they ever have had invested in any industry with all their heart and mind. And we who are actually on the stage are busy enough for the play, and haven't got time to take up the pen.
   Certainly,there's just as much blessing,if not most,upon the Labour. The real great men of the world who have benefited, and are benefiting the mankind came mostly from the labouring class,the Holy one of Nazareth not being excepted.
   Goodbye,be good boy and with my love to Nobusan,
               Your loving father,
 
父より英国留学中の敬一へ (第八信) 東京八月十八日
 敬ちゃん
 六月九日付のお前の手紙は受取た、ラージから未だ器械の来ないのはいけないね、恐らくはコベントリーの工場が再び 仕事を始め工人が夫々就業するまでは来ないかもしれない。
 何うだ、ストライキを痛切に感じたろう、ほんとうにストライキは役に立たぬ、まあ、算盤がとれないよ、=工人にも雇主にも、 買手の公衆にも、=けれどこの種の争議は早晩解決するものであるから何れその内器械は来る、その時は資本の忍耐と 労働の技術に感謝するだろう、何うだい?
 勿論、遅延したからとて気にするに及ばぬ、吾々には両脚が授けられてあるから水上を渉る外は何処へでも往かれる、 この点はお前はなお更心配はない、かつてお前が発明した浮靴を完成させればよい。
 労働争議は一種の流行病であるがその伝播を防ぐ有効なる検疫法がない、同じ問題は資本側にもあるよ、銀行は支払停止、 商家は破産、工場は閉鎖する、重大な問題だが労働争議の様に八釜しくはない、一方には煽動者があり、他方にはないからだ。
 大家はそれぞれ資本と労働、その問題と解決などと大部の冊子を著す様だが私は実際家として案じているのは、先生方は、 真に一日の激しき労働と、労働の真の快楽の経験があるかしら、又かつて精紳を尽し誠意を尽して一の産業に投資した経験が あるであろうかだ、所で吾々実際家は舞台の上で演劇に忙がしく執筆する閑はないのだ。
 労働の上には大なるーーもしかしたら最大の祝福がある、人類を益し、叉益しつつある世界の真の偉人は大概労働階級の出身者だ、 ナザレの聖者も除外ではない。
 左様なら、宣さんによろしく
            父より
 
 Letters from Father to Keichan(N0.9)Sept.24,1922 W17
    My dear Keiichi,
  Yours No.14 of July 9th received. Congratulations to your friends, Dick and Robert on their being admitted to Cambridge.
  You tell me that Latin or Greek is one of many subjects of entrance examination of that famous institution. Very good. While I don’t want you to scare me by-and-by with your Latin, I want you to learn it just enough to make your English a little more high-toned than pa's.
  It appears that civilization like the tide ebbs and flows. I pray that we are not going backward toward that era of Roman Empire. But somehow the people here is using more Latin terms than before. The most popular terms with us today are“Proletariat ”and “ Bourgeois.”They are spoken of and written about as though the two camps of the opposing army.
  Those old terms of a western empire are hardly fit for use in talking about present day problems social or economical. And it’s more so in dealing with any question of our country that has its own history of two thousand years or more. One thing is certain,and that is that mere talking doesn’t produce a grain of rice.
  Well,let me tell you something about“ Bourgeois ”from a printer’s stand point. It’s a size of type between Brevier and Long Primer. That was the way the old-time-printers used to call different sizes of type down to about 25 years ago.  The exactness,however,required by the advanced art of modern printing has made it necessary to abandon those ambiguous Latin names, and in its place the Point System of today was adopted.
  Brevier is now 8 point; Bourgeois,9; Long Primer,10. Of course, the basis of Point System is Pica“ em ”now called 12 point which is one sixth of an inch. One point,therefore in decimal equivalent,is .01383. To express the System in a tabular form,it will be as follows :
Old Name Point System Decimal Measurement
Nonparell 6 point .083
Minion 7 point .0968
Brevier 8 point .1107
Bourgeois 9 point .1245
Long Primer 10 point .1383
Small Pica 11 point .1522
Pica 12 point .166
I am writing you a trifle about the art of printing which is my hobby, and at the same time to show you the printers the world over are keeping pace with time.
  Good-bye,be good boy and with my love to Nobusan,
                    Your loving father,
 
   父より英国留学中の敬一ヘ (第九信) 東京九月二十四日
敬ちゃん
 七月九日付の第十四信は受取った、お前の友達のデイックとロバートの両君が首尾よくケンブリッヂヘ入学することが出来たのは慶ばしい。
 ラテン語もしくはギリシャ語がその名高い学府の入学試験課目の一つだと云うが、結構だ、お前が追ってラテン語で私をおどかしてはならぬが お前の英語をパヽのよりも一層高調子にするに可いだけ勉強しておくれ。
 文明は潮汐の如く干満があるように見えるが、私は我々が彼のローマ帝国時代に逆行してゆかぬことを祈る、然しどうしたのか人々は 古代ローマの言葉を以前よりもよけい使っている。今日の流行語はプロレタリアとブルジョアだ。この言葉はあたかも対抗している軍隊の 二つの陣営のように話され或は書かれている。
 西方帝国の古い言語は今日の社会、経済問題について用いるには相応しくない、殊に二千年以上の独特の歴史を有する我国の問題を論ずるには 尚更不適当だ。議論ばかりでは一粒の米だって造り出されないよ。
 ところで私は印刷屋の立場からブルジョアのことを一寸話そう、ブルジョアとはブレピアとロングプリマーの中間にある活字の大きさだ、 それは往時の印刷屋が活字の異なった大きさを呼ぶに二五年ばかり前まで用いたものだ、然し近代の進歩した印刷術に必要とされる精密が、 そういう紛らわしいラテン語の名称をやめさせて、その代りに今日のポイント式が採用された。
 ブレピアは今日8ポイントと言いブルジョアは9、ロングプリマーは10だ、勿論この式の元は今12ポイントと言われているパイカのM、 その寸法は六分の一吋で一ポイントは小数の等価にして.01383になる、この式を表で示せば次の通り。
旧名称 ポイント式名称 小数測定
ナンパレル 6 ポイント .083
ミニオン 7 ポイント .0968
プレピア 8 ポイント .1107
ブルジョア 9 ポイント .1245
ロングプリマー 10 ポイント .1383
スモールパイカ 11 ポイント .1522
パイカ 12 ポイント .166

 私は自分の道楽である印刷術についてほんの少しばかり書いたのは同時に印刷屋は何処の国でも時勢と歩調を共にしているということをお前に 示そうと思うからだ。
 左様なら、宣さんによろしく
                 父 よ り
 

Letters from Father to Keichan (N0.10)                    Tokio,October 22nd 1922.

W18

  My dear Keiichi,
    It is said that fools spend the money like water, and that on can tell pretty sure whether a fe11ow is a fool or not by the way he spends it. But I must now caution you and tell you that a drop of pure water is as precious as a drop of a man’s tear. You will be so convinced if you ever get soaked wet, day after day, in an effort to get a good water, and figure a good deal of money that is needed to accomplish the end.     Our village needed a better water supply for a long time. Every endeavour to obtain it on our vast estate having been failed, I have chosen Haramura as the most desirable locality for a source of good water. Several pieces of land were purchased in the neighbourhood there, and the whole plan being made ready, the work has started on a site bordering the beautiful Plum Tree Garden on the northeast and the embankment of the historic Tama on the southwest. It is altogether a pretty spot for any home.
    Very fortunately we have struck the right spot. By digging out five feet of earth and seven feet of sand, we have encountered with a solidified stratum of the sand and gravel of about a foot. When this rock-like layer was pierced through the water pure and cold gushed out in great quantity. We found that it outflows from a water-bearing sand stratum of about six feet, beneath which is a heavy layer of clay forming the bed of the Tama .
    The water we have caught must originate many miles further up the river as the level of the well is about six feet higher than the level of the river nearby. It is the water of an underground river which runs for miles through the clean sand, and its purity is unquestioned. It is a perfect crystal in liquid form.
    To insure plenty of supply throughout the varying seasons, we shall have a series of wells all to be connected by a vacuum pipe. Some 50000 gallons of water will be pumped up daily and conveyed through the steel pipe about a mile from Haramura to our reservoir. At this point the water will be pumped up again to a concrete tank of fifty feet high for distribution by gravity.
    Of course, there will be enough water for our own use,and the surplus will be given to our neighbours. While I am thus very busy I want you to be especially good to your masters and to Mr. T…..as well as to everyone of the boys in the school. I want you, too, to be careful about your expenses, for, a great and noble work comes from accumulation of trifles and never from spendthrift.
          With my love to Nobusan,
                 Your loving father,

 
父より英国留学中の敬一へ (第十信) 東京十月二十二日  
敬ちゃん
 金銭を水のように費う者は愚で、人の賢愚は金銭の費い工合で大概判ると言われる。ところで私は今お前に清浄な水の 一滴は男子の涙の一滴の如く貴いものであることを告げかつ注意したい。お前がもし、良水を得たいと努力して幾日も幾日も 濡れ浸り、そしてその目的の達成に要する多額の支出を数えたら、一層痛切に感じよう。
 我等が村では、永い間、良水に乏しかった、どうかして良い水を得たいと広い地所内で種々な方法をつくしてみたが、 みな思わしくなかったので、私は良水の源泉地として原村をまず選び、その付近の土地をいくつか買取った。そしてすべての 計画が整ったので、美しい梅園で北東を境され、南西は歴史的な多摩の堤防に接した用地に仕事を始めた。それは誰れの家を 建てても良いと思われる景色だ。
 場所の選択は大当たり、堀り当てたね。土を五尺堀り、砂を七尺堀ると砂と砂利で固結した一尺ばかりの地層に出会った。 この岩のような層を堀り抜くと、清浄な冷たい水が多量に湧き出した、それは深さ六尺ばかりの水を含む砂の層から流出する ことがわかった。その下は多摩の川床となっている粘土の厚い層である。
 井戸の水面は近くの川の水面より六尺も高いから、我々が獲た水は遠き川上に源を発し清潔な砂を通過して数里も流れて 来る地下川の水である。その清浄なことは疑う余地がない、立派な液体の水晶だ。
         季節が変化しても豊富な供給を保証するために、幾くつか井戸を堀って互に真空管で連結させる。約五万ガロンの水を毎日 ポンプで汲み上げて鋼管を敷いて約一里、原村から貯水池まで送られる。ここで水は高さ五十尺のコンクリートの水槽に再び ポンプで汲み上げて重力で夫々配給する。
 勿論自家用には充分であるから剰余は近隣の人々に与えよう、こうして私は繁忙であるからこの際特に頼みたい、先生とも 津O様とも又学校の友達とも皆んなと仲よくしておくれ、そして又金銭を費消うのに気をおつけ。貴い大事業は瑣末を蓄積して 来るので、決して浪費からではない。
    宣さんによろしく
 
Letters from Father to Keichan Studying in England (N0. 11) Tokio, December 25th 1922. W19
 My dear Keiichi,
   Your folks at home had a nice Christmas dinner the night before; and afterward, we have trotted the Ginza and have made many purchases. Of course, we missed you very much and you are missing us. To my great surprise, Yukichan had an expansible bag into which a11 the parcels were stuffed at the Shimbashi and obliged me to carry it on my shoulder all the way home. Had I a red coat on and the frost on the head, the people would have taken me as a living Santa Claus.
   Naturally, when the holiday season comes round, one away in a distant land becomes a sort of homesick. If, instead, he isn't, it’s sure he is forgetting the home of his birth. Either is wrong. We have got to harmonize  these contradicting sentiments, and remember the home without becoming homesick. And that harmonizing power will make you an English boy being at the same time a son of the Land of the Rising Sun.
   I am sending you under another cover a copy of Yamamoto's “Seiza-no-Shitashimi " as my little present. His description of constellations in the starry heaven is perfectly charming, and I know you'd like it. For,  indeed, when we commune through the stars, England is nearer to us than Kioto by rail. Within some seven hours or so, she comes round under the same heaven that we now are, and we all behold the same stars and groups of stars that are so profusely rich during the winter than any other season of the year. It’s a wonder of the creation that, when there is no flower on earth, the stars are brighter and more interesting and appear to beckon us from the stupendous height in heaven, to watch the most magnificient displays.
   A very Merry Christmas to you, and with our most cordial season's greetings to your masters as well as to Mr.T_ and family,
                  Your loving father,
 
父より英国留学中の敬一ヘ (第十一信) 東京十二月二五日
敬ちゃん
  盛んなクリスマス晩餐はゆうべ皆んなでやった、それから銀座をぶらついて買物を沢山した、勿論お前は居なかった、我々も お前の仲間入は出来ない、驚いたのは雪ちゃんが広がる大袋を持っていて新橋駅に着いた時には包んだものをすっかり積め込んだから 余儀なく肩に掛けて家まで帰った、もし赤い上衣を着て頭に霜か戴いていたら生きたサンタクロースと人達は思ったに違いない。
  休暇の季節が周り来る度に遠国にいる者は自然にホームシックになる、もしならなければ故郷を忘れたと云うてもよい、 何れも間違っている、我々はこの相反する感情か調和して望郷病にならずに然かも故郷を憶わねばならぬ、この様な調和力はお前を 日本男子たらしむると共に立派なイギリス子にさせる。
  別封で山本氏の著「星座の親しみ」を一部贈る、天の星座を巧妙に面白く記述したものだからお前の気に入るだろう、星ぼしを通して 音信すれば英国は鉄道で京都へよりも近い、約七時間も経れば今我々がいる天の下に英国は周って来て一年中一番星が豊富なる冬の空に 星やその集団を眺められる訳だ、天地創造の驚異は地上に花のない時には天の星は一層輝き、一層興味あり天の素敵滅法な高き所からその 雄大なる陳列を看よと手招きをしている様だ。
  お前には楽しいクリスマス、先生方や津__様や御家族に懇篤なる季節の御挨拶を申上げておくれ。
                    父より
 
Letters from Father to Keichan Studying in England(N0. 12) Tokio,Apri1 26th 1923 W20
 My dear Keiichi,
 I am severely criticized by many friends of mine for not writing you through the magazine for some months. Of course, I couldn’t see my way clear to write you much until I hear from you responding to mine of January 14th. Now I have got it, and I’m mighty happy to see plenty of good sense in what you say and to feel that spirit of helpfulness in you. That’s the first step to really help the others and help them gladly. Naturally, the father overcredits his son, and I want to caution you not to take any advantage of it lest you’ll fall into a deep fathom of indebtedness.
 I see your letters are no longer numbered. It doesn’t, of course, matter whether or not your letters are numbered as long as they are proper1y dated and the tidings they bring are nice and good. You’ll find the numerical system of upkeeping correspondence is one that requires the closest attention, and its real value is only demonstratable when the volume handled is great. Ordinarily, if the letters bear the day and date, that’s sufficient; as then, we can keep them chronologically for any future reference. I simply mention this in passing that it is not easy to keep the word, and that is why your pa never put his hand and seal on any note which will bind him with such words as :“I promise to pay and so on”. Neither does he endorse such note for anyone.
 A good night to you, and I want you to be a good boy.
                        Your loving father,
 
 父より英国留学中の敬一ヘ (第十二信) 東京 四月二十六日
 敬ちゃん
 お前への手紙が暫く吾が雑誌に出なかった為、友人達から少なからず攻撃された。勿論一月十四日付の私の手紙に対しお前から返事が ある迄は何を書くべきや明瞭なる能わざる訳であった。処がそれが来た、よく訳の判ったお前の云分とお前の援助的精神があるのを見て 大いにうれしい、この精神は即ち他の人々を真に援助し且つ又喜んで援助する第一楷梯である。概して云うと父はその子を余り信用し過ぎる、 であるからお前はその利益を濫用してはいけない。若しすると遂には負債の深い深みに落込んでしまう。
 お前の手紙に近頃番号が付いていないね、勿論それに番号が有ろうと無かろうと年月日がちゃんと付いていて音信そのものが幸福のもので あれば一向に構わぬ訳である、信書を番号順に整理するのは緻密の注意を要するもので、取扱う信書の量が非常に大なるものでなければその 真価は発揮せぬものである。一般には日付さえ明瞭なれば、暦日順に整理して置いて後日の参照に十分である。
 総じて所言を実行する事は難しきものである、であるからお前の父はかつて「支払約束候也云々」とある様な手形に判を押した事はない又 誰の為にもそんなものに裏書保証をしたこともない。
    では、お休み、おとなしくおし
                父より
 
Letters from Father to Keichan Studying in England  (N0.13)Tokio,May 5th 1923  W21
  My dear Keiichi,
  Your very interesting letter of March 18th is welcome. Certainly you are a lucky boy learning English Grammer tutored by the headmaster, and conversation by Mrs. B−.
  Next to your parent, you owe everything to your masters for your being a man in after life. You are taught in your boyhood that the loving-kindness of the master is higher than the highest mountain and deeper than the deepest sea. I pray the Almighty that you, for a moment, forget it not. Neither do you forget all the goodness you receive from anyone else. But all the goodness you are fortunate enough to give to others,−and you must give plenty of it,you,when given, at once forget.
  I want you to study pretty hard all that there is in English Grammer, for grammatical correctness coupled with rhetorical excellence makes your speech good to hear, and your letter good to read. O get in touch with men of letters through good books, and see how did they frame so elegant a language,−perhaps more elegant than the most exquisite music!
  It is not an everyday occurrence that the father is in perfect agreement with what his son says,−I mean your sympathetic comment on Longfellow’s “ Evangeline. ”The whole story appears to be more that of the old Japan than a Tale of Acadie. And that’s why it appeals so much to you and to me. Right here, I want to remind you that it isn’t its powerful description of the beauty and strength of woman’s devotion that attract your daddie now; but that that peaceful village of Acadie in the description of which I find a befitting expression of the ideal of our happy village. I want you to read these lines over and again:
          “Neither locks had they to their doors,
                nor bars to their windows;
           But their dwellings were open as day
                and the hearts of their owners;
           There the richest was poor
                  and the poorest lived in abundance.”
  What a joyful spot our earth would be if this ideal could be realized!  You say you are studying hard to enter. the Cambridge. A11 right. I expect you then over there before long as a resident at the university. I want you to remember that it aren’t a trade mark that I am paying heavy bi11s for, but the quality that will finally tell the stuff−a strong character seasoned with soundness and sweetness of mind and heart, that makes you a man of men: that’s I’m prayerfully looking for.
                 Yours affectionately,
 
父より英国留学中の敬一へ(第十三信) 東京 五月五日
敬ちゃん
 三月十八日付のお前の興味多い手紙は歓迎した、お前は確かに幸運児だ、英文典は校長さんから会話はB夫人から特別に教えられているなんて。  両親の次にお前の将来の大成は先生方に負うのである、師の恩は山よりも高く海よりも深しとは予て幼少の時に教えられてある、お前がその 大恩を瞬間たりとも忘れぬ事を祈る、又誰からでも受けた恩は是又忘れてならぬのである、 併しもしお前が幸いにも人に恩を施し得たなら、 −うんと施さねばならぬが−その時に直ちにそれを忘れてもらいたい。
 英文典はしっかりやらねばならぬ、それは文典的正確は修辞学的優秀と相待ってお前の言を聴かしめ又お前の文を読ましむるからである、 絶えず善い書籍を通して文豪と接触を保ち、高稚なる言語の組立を研めねばならぬ−恐らくその高雅壮麗は、精妙なる音楽も遠く及ばぬであろう。
 父がその子の云う所と全然同意するなぞは毎日ある事でない、がお前のロングフェローの「エバンジェライン」に於ける同情深き感想は全く合致した。 この物語は、アカデー村の物語よりむしろ古代日本の物語りに近い、だから吾等を強く引きつけるのである、そこで忠告するが今お前の父ウさんを 感動させるのはその物語中の女子の献身の美と力との強い々々記述よりもアカデーの平和な村を記述した中には実に幸福なる吾等が村の理想を そのまま写してあるからである、下の数行を反復読破し又味わってもらいたい。
「彼等の戸締に錠はなく窓の締りに貫抜はない。
  家々は昼の如く明け放たれて住み人の心もまた。
  其所にてはいと富みたるは貧しく、いと貧しきはいと豊かに暮らしたり」
  もしこの理想が実現せられたなら、地上は如何に楽しい住家であらう
 お前はケンブリッヂへ入学の為大勉強をやっている相だが、大いに可い、大学に籍を置く様になるのも遠くはあるまい、だが記憶せねばならぬ、 私は一商標の為に莫大の勘定書を払っているのでない、最後に判る材質その物、即ち人の人たるべき健全な頭と柔和な心で味をつけた強い性格の 人たらしめようと切に祈っているのである。
              さよなら       父よリ