1923-1953 ロータリアン貞次郎/人と成り True Rotarian
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    「真のロータリアン」 第60区ガヴァナー 小林雅一氏より 1
 東京Rotary Clubの最も古い正会員であった、黒澤貞次郎君は1日以来脳出血で倒れ、治療中であった所、 遂に1月27日逝去されました。 2
 黒澤君こそは、あらゆる面に於てロ一タリ一精神を身を以って実行した、模範的の人であったと私は思います。 3
 第1、同君は1923年東京R・C・の会員となり以来30年の永きに亘りて常に100%又はそれに近い出席率を保持し理事、 及会計を勤められたのみならず、会員として他員との交友は最も広く且つポピュラ一であり、全会員に尊敬されて居ったのであります。 4
 第2の「職業を通じて社会に奉仕する」事に対しては、同君の事業は、50年以上に なりますが、同君がロ一タリ一に人会される以前よりその精神を実行せられ、終始変らず継続されて居った事は余りにも有名であります。
例えば売手と買手との関係に於ても同君は一旦タイブライタ一を販売すれば、常にそのタイブライタ一が完全に調子好く動いて居るか、否や、を 買手に尋ね、少しでも不満足の点があれば直に修理をするか、新品と取換え、常に顧客の満足の行く様にされて居ったのであります。
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銀座店2F修理工場 6
 ・・・唯一の得意先である郵政省に年々巨額の納入をして居るのに関わらず、末だかつて只の1回も御馳走をしたことがないと云う様な事柄は、 ロ一タリ一の云う売手、買手の関係を理想的に実行して居ったと云えると思います。 7
   又労使関係に於ては同君は完全なる家族主義を実行され、数十年前より各従業員の家庭に住宅並に菜園を提供し日常の生活に不安のない様にして来たので あって、太平洋戦争当時及戦後の食料や住宅不足の時でも、黒澤村の人々丈けは、余り心配なしに生活出来たのであります。従業員の中には、 三代に亘って勤務して居る人も居る由で、従業員及その家族からは慈父とも仰がれ親しまれて居ったのであります。 8
 黒澤小学校・幼稚園建築中 9
 第3の社会奉仕の面では同君はその工場の敷地内につとに小学校を建築して自費を以って経営して居られたのであります。 ・・・又早くより自費を投じて遠く玉川より水道を引き、それを附近の人々に別け与えて居ったのであります。 10
  幼稚園卒業式後列中央に貞次郎 11
 凡そロ一タリ一の第1の標語である”SERVICE ABOVE SELF”を同君の如く、 日常生活に実行した人は世界365,000人のロ一タリ一会員の中でも少ないと思います。同君が如何に己れに奉ずること薄く、 他に奉仕することの厚かったかは毎日新聞(2月4日夕刊)にも載って居った通りであり、同君を知って居た人の全部が認める所であろう。 12
 又その結果として同君の事業は益々栄え最近迄数年間全国個人納税者のNo.1であった程に利益も挙がったのであります。 之れこそ即ち第2の標語”HE PROFITS MOST WHO SERVES THE BEST”の実証者と云えると思います。 13
東京R・C・が生前同君を最も傑出したる会員(THE MOST OUTSTANDING MEMBER)としてスウェ一デン国王70歳祝賀の記念品として逞られた金ピンを同君に贈与 されたことは誠に故なきに非ずであります。
我々は今、斯くの如きロ一タリ一の権化とも言うぺき同君を失ったことは誠に悲しいことであり、日本のロ一タリ一、否世界のロ一タリ一の為めにも 惜みても尚余りあることであります。
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  銀座店、IBM来客歓迎会 15
「本当に惜しい人だったね」、「モウ是からあんな人は出ないナ」。 黒沢さんの訃をきいたロータリアン−− 恐らくロータリアン以外でも君を知る程の人たちを挙って異口同音の歎声はこれでした。 私と故人との辱知は専らロータリーを通じての過去30年間でしたが、年を重ねる程に君を尊敬し愛慕する心持は愈々強まるばかりでした。 然も人に対し世に処する君の挙措態度というものは、そこに些かの衒いもなければ何の工作もない、洵に天真爛漫の発露であって、 私は常に君を以て「平凡なる偉人」と呼んでいたのでした。 あのえびす様のようないつも笑を湛えた童顔に、ゆったりとした静かな物言い、 仕事の上でも又交際の上でもあの通りの偽りのない気持でその生涯を貫かれた事と思います。・・・ 「ああ黒澤さん」渥美育郎 16

ROTARIAN SPENDS YEARS DEVELOPING AN IDEAL FACTORY 日本語

(THE JAPAN TIMES & MAIL Sunday September 30 1928)

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Well Known Tokyo Businessman Works For His Employees
BUILDS NEW SCHOOL
Children In Compound Look up To Founder of Plant As Their Father

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More than twenty years have passed since then and just as the Rotary Club today stands as a worthy monument of the work of its founder, so the model Teijiro Kurosawa factory in the suburbs of Tokyo stands as a monument to the work of its founder.

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This factory, naturally, is known ・・・ in Kamata. But it is little known to the rest of the country, primarily because Mr. Kurosawa is not a seeker after publicity. In fact few people shun publicity as he does and it is only because of the unusual persistency on the part of The Japan Times in approaching Mr. Kurosawa for information regarding his institution that the story of his model factory is published here. Details of the workings of the institution have hitherto never been given to the press.

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What Mr. Kurosawa should be a Rotarian is only incidental. Long before he ever heard of Rotary, he was at his work of SERVICE ABOVE SELF. On hearing of Rotary several years ago, he immediately look a great interest in that institution and its work and was made a member of that organization’s club in Tokyo not long ago. Since then he has more than ever worked towards advancing the welfare of his employees and is one of the staunchest upholders of Rotary’s motto of SERVICE ABOVE SELF.

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 蒲田工場機械部プレス機械               ミリング機械
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But these modern appliances, most of which have been imported from abroad, have not been installed merely for the comfort of the workmen.
They ware installed because Mr.Kurosawa is a believer in efficiency, and in producing most from the least possible human energy.
 Persons acquainted with factory methods in Japan declare after a visit to the Kurosawa works that his 150 employees are producing the work which requires at last 250 employees to do in other factories in Japan.

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As only one sixth of the water he obtains from Tamagawa is necessary for the needs of his employees and himself, Mr. Kurosawa is at present giving away the bulk of the supply to people in the neighborhood. This water naturally is distributed in pipes which are run underground, and therefore few realize that water from the Kurosawa mains are furnished to his neighbors. Still Mr. Kurosawa is the last person to mention this fact.

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Whenever an employee in the Kurosawa factory is taken ill, he, unlike employees in most other factories, needs worry little about having his pay check reduced, for it is one of Mr. Kurosawa’s principals to not only pay full wages to sick employees but to foot the bills of all those who are compelled to pay heavy medical bills.

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As for himself, Mr. Kurosawa lives as cheaply as possible. His slogan is taken from “Evangeline”by Longfellow:“The richest was the poorest and the poorest lived in abundance.”
 He has only one suit of clothes for each season, one hat and a single pair of shoes though he is the head of one of the best known importing and manufacturing establishments in Tokyo. Mr. Kurosawa says he is happiest when he thinks that he is the servant of man.

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「ほんとに皆んなよく働いてくれます、わが身の事として一心不乱に働いてくれます、申し訳無い事です」 (ROTARY WHEEL) 28
 この楽天地に労動問題や雇員の変動はありよう筈がない。経営者は雇員の人格を尊敬し雇員は又経営者を父と仰いでいる、 普通の家族生活以上にここには和やかな空気がみなぎっているのである。
 賃金の少しでも高い方へ職工の動き易き現在の産業界にあって、
 「私の所ではその様な心配は絶対にありません。今後とも無いと思います」
と黒澤氏の如く断言し得る雇主は世間に幾人あるであろう?(ROTARY WHEEL)
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機械部自動盤機械           組立部 
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 不景気―利潤低下―かく首―ストライキ、みな一様の方程式のように、血醒さい果敢的な闘争が、 アジ・プロの嵐の中に展開されつゝあることの如何に多い事であろう・・・この労資闘争時代をよそに、ここに築かれた愛の工場がある。 見るも羨ましい閑雅な農園に囲まれた工場がある。
 筆者が内務省社会局を訪ねて、東京に於ける模範工場参観を希望すると、直ちに蒲田の黒澤タイプライター工場を紹介された。 (「愛の黒澤工場と黒澤貞次郎氏」栗原俊穂)
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 ・・・実は四五日前、昔の知り合である者がやって来て、
 「実はお前のところで争議を起こそうと我々はねらっている。その相談でやって来たのだ、一つ手を貸してはくれまいか」
と云うのであった。しかし私はその時、
「君はまだ知らないのであろうが、ここの主人の黒澤氏は正に立志伝中の人であり、汗と血によりて築き上げただけに、 我々従業員にはとても親切である。住宅も与えてくれるし、我々の子供に幼稚園も建てゝくれる、君等は来た時に見たであろうが、 工場の横の広場は農園として我々に貸与してくれている。 浴場も昼飯も無料だ、しかも月給制度で何不足もない、全く愛の工場だ、我々は何一つ不足はない。 争議を起こすなんて未だ夢にも考えて見た事もないのだ、心得違いをしてくれるな」――そう云う話をしてやりましたところ、 我々の昔に比して豊かな生活を目撃して、彼等は羨しい生活だなあ、俺達も入れてくれないかなあ、と本音を吹いて帰って行きました」
と云うのであった。
 しかし油断は大敵だと、氏は直ちに対策を講ぜられた。先ず銀座の店と、工場の食堂の料理人に今日以後、 御飯の残りは少しにても捨てずに之を乾して干飯をこしらえてくれ、叉パンの余りは小さくともためて置いて、よく貯蔵して置いてくれ、 そしてこれはもし我が工場に労働争議を起されて、外部から多数の運動者や労働者が見えたなら、豆いりをこしらえるなり、 或はお菓子を拵へる材料にして親切に待遇してやってくれ、私はこれが為に決して余分な費用はかけたくはないが、 日頃無駄にしていた食物もこれを機会としてお菓子になり作って、無駄排除の実行をして菓子になり拵えて運動者に上げたいから、 叉住宅の主立った妻君達には頼んで歩いた。
 もし労動運動が始まって宣伝ビラでも撒いて歩く様な人があったなら決して反抗しないでくれろ、宣伝ビラの散っているのはひろい上げて、 しわをのぱして、夜は争議本部へ届けてくれろ、寒い時なら焚火をしてやれ、暑い日には冷たい水でもやってくれろ。
 労動争議に対し、この工場の耐酸試験にしたいから、少しも心配せずに、運動者の為すままを精一杯させてやってくれ。
 これが氏の準備であった、しかし運動者もまた労動争議らしいものは、遂に一つも見えなかった。 (「愛の工場」)
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