もくじ
黒澤氏は、従業員への奉仕を良しと信ずる故、わざわざ学校を建てた。これは黒澤氏が行った 他のすべてのことについても同様である。氏がまず第一に思うことは、従業員のことである。 氏は全く尊敬すべき人である。
(「ジャパン・タイムス」1928年9月30付)
吾等が村
注目すべきことは、これら150人の従業員とその家族500人余りが、工場敷地内で生活し、黒澤氏の建てた理想的な家に住んでいることである。
(「ジャパン・タイムス」1928年9月30付)
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数年前、黒澤氏は野菜栽培に供するため、従業員に土地を解放した。従業員たちは、それぞれに一定の土地を割り当てられ、 彼らは今日各々、各自の自慢の庭を持っている。彼らが栽培した野菜は、毎晩家に持ち帰られ、晩の食用に供される。
(「ジャパン・タイムス」1928年9月30付)
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何年も前、東京水道局がまだ蒲田の住民に水を供給していなかった頃、黒澤氏は数マイル先の多摩川に集水井を建造し、 工場まで水道を設置するため1万円の費用を費した。
(「ジャパン・タイムス」1928年9月30付)
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1923-1953 ロータリアン貞次郎/人と成り  
ロータリアン、理想工場発展のため歳月を捧げる
(「ジャパン・タイムス」1928年9月30付)
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著名な東京の実業家、従業員のために働く。
新校舎を建設。
工場の子供達は、施設創立者を父として仰ぐ
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 あれから20年以上が経過して、丁度今日のロータリー・クラブが創立者の仕事の価値ある記念碑として存在するように、 東京郊外の黒澤貞次郎模範工場は、創立者の仕事の記念碑として存在する。 19
 この工場は当然、蒲田では知られている。しかし、国内の他の地域であまり知られていないのは、 まず黒澤氏が宣伝好きでないからである。実際、氏のように宣伝嫌いの人は稀であり、 彼の施設についてジャパン・タイムス社が常になく執拗に黒澤氏に取材を求めたからこそ、 ここに氏の模範工場の話が掲載されている。本工場施設の仕事場の詳細は、今まで一度も出版社に供されたことがない。 20
 黒澤氏がロータリアンであることは、ほんの付随的なことにすぎない。ロータリーのことを聞き知るよりずっと前、 氏は「己にまさる奉仕」の仕事についていたのである。数年前、ロータリーのことを聞くと直ちにこの団体とその仕事に関心を持ち、 東京の組織の一員となったのは遠い昔ではない。それ以降、従業員の福祉の前進に向けてかつてなく働き、 ロータリーの標語である「己にまさる奉仕」の最も忠実な保持者の一人なのである。 21
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 しかし、これらの近代的機械類は、ほとんどが外国から輸入されたものだが、ただ単に労働者の安楽のために設置されたものではない。 それらが設置されたのは、黒澤氏が効率を信じ、最小の人的エネルギーによる最大の生産性を信奉していたからである。 日本における工場操法の専門家は、黒澤工場を視察した後、ここの150人の従業員たちは、 日本の他の工場では250人の働きを要す仕事を生産していると言明した。 23
 多摩川から引いた水の6分の1しか従業員と彼自身には必要でないので、黒澤氏は現在、供給量の大部分を近所の人々に与えている。 この水は当然地下を通るパイプによって供給されているので、黒澤水道から近隣に水が供給されていることを知る者はほとんどいない。 それでも、黒澤氏はその事実を語る最後の人なのである。 24
 黒澤工場の従業員が病気にかかった時はいつでも、大部分の他工場の従業員とは違って、 労賃が減少する心配をする必要はほとんどない。それは、黒澤氏の信念の一つは、病気の従業員に賃金を全額支払うだけでなく、 高い医療費を払わねばならない人々全員の勘定を払ってやることだからである。 25
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 自身のことには、黒澤氏は出来る限り安く生活している。彼のスローガンは、ロングフェローの「イヴァンジェリーン」から引用した、 「いと富みたるは貧しく、いと貧しきはいと豊かに暮らしたり」である。彼は、東京で最も良く知られた輸入、製造企業の頭領でありながら、 それぞれの季節に一着の服、一つの帽子、一足の靴しか持っていない。黒澤氏は、人間への奉仕者であると思う時が最も仕合せであると言う。 27